私も実家にいる時は退屈魔でした。
でも、今の暮らしを始めて、「退屈」とか「暇」と思うことが一度もありません。
やりたいことを考えたら、その時間は限られています。
時間の速さの感じ方には諸説あります。
「忙しい程、時間が足りなくて短く感じる」とか、
「逆に忙しいと、いろんな事してて充実してるから長く感じる」
「暇だとボーッとしてダダ流しにするから、短い」
「退屈だと早く経過してほしいあまり、長く感じる」
どちらのケースにも場合によって逆の両方のことが言える。
本当のところ、どうなんでしょうか。
偉人の名言を集めたので、
ちょっと考えてみる。
+++
まずは、普遍的と思われる事。
どのケースであっても、共通して言える事。
尚且つ、前向きな意味で捉えられるもの。
時間の使い方は、
そのままいのちの使い方になる。
(渡辺和子)
過去も未来も存在せず、
あるのは現在と言う瞬間だけだ。
(トルストイ)
時間は人間のためにつくられており、
人間が時間のためにつくられているわけではない。
(イタリアのことわざ)
今日という一日は、
明日という日の
二日分の値打ちがある。
(ベンジャミン・フランクリン)
時はよく用いるものには
親切である。
(ショーペンハウアー)
最後のショーペンハウアーの言葉とか、私は特に好きです。
では次に、多忙である事を「充実している」と捉え、
それに賛論を唱える言葉。
何が悪い。
それをやりつくしても、
時間は全然足りないのに。
(山本恭子)
一番多忙な人間が
一番多くの時間をもつ。
(アレクサンドル・ピネ)
やることを誰よりもたくさん抱えていて、
働く気のある人が、
最もたくさんの時間を見出すことになる。
(サミュエル・スマイルズ)
どうでしょうか。
これらも含め、時間に関する格言では、「時は金なり」「有効に使え」「充実させろ」
ということを唱えているものがとても多く見られました。
+++
ただ、考えられる「充実」と「多忙」には差異があり、
○充実……自分の望むスケジュールと内容を過ごし、その実行を楽しんでいる時の感覚
○多忙……自分の都合、他人の都合に関わらず、一定の時間内でこなす用事の量が多い
ということが言えて、
同じように多忙でも、そこに充実感が付加されている、ひいては、
「やりたい事をしている・満足感がある」という条件下において、時間は善く使われ、
「望まない、でもやらなければならない」という満足感を伴わない情況では、
本意でないものに自分の時間を搾取される、という現象が起こります。
それが多すぎると、「人生のために時間がある」ではなく「時間のために人生がある」
という感覚に陥り、エネルギーを搾取されていく危険があります。
ガストン・バシュラールって人によると、こういう話だそうです。
自分に固有の時間を、
他人の時間に帰属させないことに慣れること。
自分に固有の時間を、
事物の時間に帰属させないことに慣れること。
(ガストン・バシュラール)
今取り組んでいることに関心を持ち、
全力を傾けてそのことだけを考える。
時計を気にせず、
ひたすら続け、
休みたくなったら必要なだけ休む。
休んだあとは、
また同じ集中力で作業に取り組む。
熱心に働くことの価値と満足感を知っている人に
世間は高い評価を下すものだ。
(トーマス・エジソン)
エジソンに関しては、ひとつの事柄に打ち込む事について述べられています。
これが、充実感、満足感のもたらすギフトですね。
+++
次に、多忙とか暇とか関係なくて、時間をどうせ過ごすなら、なんかやってみようよ!という
実行あるのみ派の名言を。
何かをやって
時間を損するということは絶対にない。
貧乏旅をすれば、
大学を二つ出たようなものだ。
(永倉万治)
何をなすべきか、
いかになすべきか、
をのみ考えていたら、
何もしないうちにどれだけ多くの
歳月がたってしまうことだろう。
(ゲーテ)
永倉万治って人の言葉は、ちょっと和むし、人生観豊かですね。
+++
むしろ、それを更に何もしない方向に価値を見出し、
「時は金なり」派とは全く逆の事を言っている言葉もあります。
珠玉の時間を無為に過ごさないようにと、
注意を受けたことがあるだろう。
そうなのだが、
無為に過ごすからこそ
珠玉の時間となるときもある。
(ジェームス・マシュー・バリー)
日本では、一時間も無為でいると、
何かせねば、と気がせいてくる。
インドでは何時間のんびり過ごしても、
落ち着いていられたのに。
こんな焦燥に駆り立てる文明は、
病んでいるというほかない。
(藤原新也)
若い頃に無駄に過ごした時間が、
人生で唯一の自由であるかもしれない。
(アニータ・ブルックナー)
ね、こういう考え方もありますね。
でも、どちらかに偏る必要はないと私は思います。
+++
備考。
ルソーの、人生の時間に関する、哀愁漂う悲劇を謳った言葉を。
実際の多くの人が、後から気付く、「子供の頃思ってたより、短かったなあ」っていう、
「なにやってたんだろ」って言いながら黄泉の旅に出るやつです(笑)。
人生の最初の四分の一は
その使い道もわからないうちに過ぎ去り、
最後の四分の一は
またその楽しさを味わえなくなってから過ぎて行く。
しかもその間の期間の四分の三は、
睡眠、労働、苦痛、束縛、
あらゆる種類の苦しみによって費やされる。
人生は短い。
(ルソー)
+++
最後はガンジー様。
+++
最後はガンジー様。
明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。
(マハトマ・ガンジー)
+++
時間の流れについて考えたら、色々名言に当たって面白かったです。
で、もちのようなねこの結論を締めると、
こうなりました。
こうなりました。
時間は、
惰性で過ごすには手に余り、
何かを成し遂げるには短いが、
それを認め、所有を喜べる者には
どう過ごすか選択できる自由を
常に与えているものだ。
(もちのようなねこ)
0 件のコメント:
コメントを投稿